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文学に関する雑記

最近、やたらと純文学という言葉を目にする。
そんな中、ふと純な文学とはなんぞや?と思い、インターネットで調べてみた。
純文学とは娯楽性より芸術性を重視したものとのことだそうだ。わかるようでわからない。
文学、小説における芸術性と娯楽性は何をもって判断されるのだろう。
小さい頃からの読書歴を振り返ると、小学校時代に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに夢中になり、当時、まわりで読まれていたズッコケシリーズは途中で挫折していた。乱歩は活躍した時代は大衆文学なんだろうが、昭和後期は一概に大衆文学と言い切ってしまう感じではない評価な気もする。ズッコケシリーズは大衆文学、小学生向けだから文学というのもちと違う気もするが、としてよいだろう。
中学時代、高校時代は特に何かというのは思い出せないけど、芥川と太宰などは最低限読んだ記憶がある。これは純文学。
同時に影武者徳川家康なんかも読んだ。こちらは大衆小説と考えて問題ないはず。
この頃から日本の小説はほとんど読まなくなった記憶があるが、たまに村上龍や、いわゆる純文学に分類される作家を好んで読んできた。
最近もiBooksで芥川、太宰などを暇潰しに読むけど、無料で短編がほとんどだから、軽い気持ちで読んでいる。
そう考えると自分にとっては純文学と呼ばれるものも娯楽性が高く、むしろ大衆文学より娯楽性を感じる。娯楽性、芸術性は読み手によっても変わってくるので、メディアでの純文学、大衆文学の定義もあくまで目安でしかない。だから、最近流行りの純文学だと言われている本も斜に構えずに機会があれば読んでみようと思う。目が覚めて、眠れずにそんなことを考えた深夜2時だった。